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末端の家庭教師が考える勉強をする意味と、理想の教育について

私はブランク期間も含め、12年家庭教師をしている。
決して私は優秀な家庭教師とは言えないだろう。ゆったりしたおうちでばかり指導をしていて、劇的に成績を上げたことはおそらくそんなにないからだ。ただ、ひとつだけ強みがある。その子が勉強のどこで躓くのか、当てるのが得意なのである。これは、私が決して成績優秀な子供ではなかったからだ。
まず、小学生のときは、親に本気で「どこか異常なのではないか」と思われていた。コンパスや定規がうまく使えず、漢字はいつも同じ箇所で間違え、友達の家でかくれんぼをしていても、友達の家の本棚の本を読み出してしまう有り様だった。やたらと本と言葉が好きで、あまりにも言葉の意味を親に訊くため、国語辞典を渡され貪るように読んだ。我が家にはあまり本がなかった。
まぁ、そんなだから、算数はダメだし、理科も苦手だった。これは中学校に入っても続くこととなる。ちなみに社会は好きでも地理はさっぱりダメで、20歳くらいのときに茨城県に海があると知り、28歳のときに、兵庫県の隣に岡山県があると知った。そう、社会は好きでも、世界の地理や歴史のほうがより好きだったのだ。
そんなだから、中学校に入っても極端な成績が続く。塾で受けていた模試では、国語はトップ、数学は最下位、理科も下から2~3位、社会は上から数えたほうが早く、英語は真ん中より少し上くらいであった。
この塾は私塾であり、この塾の塾長の先生は恩師の一人である。先生はとても厳しく、とても優しく、生徒のことをよくわかっていた。もう1人、アメリカ人の先生が英会話を教えてくれていた。この先生、アメフトをやっていたとても体格の良い先生で、ちょっと変わっていて面白かった。実は、マサチューセッツ工科大卒だったそうだ。もちろん、中学生の私に、マサチューセッツ工科大のすごさなどわかるわけがない。優秀な海外の大学なんて、ハーバード大くらいしか知らなかった。
なぜか私はこの先生に気に入られており、行く高校を授業で訊かれ話したら、授業後、「なんで〇〇にチャレンジしない?!」と腕を引っ張られて言われた。この先生、ちなみに〇〇とは、県内でもトップクラスの進学校であり、どんなに頑張ったところで、500点満点中350点を取るのがやっとの私が、逆立ちしても受かるわけはない。
このことを塾長に報告したところ、「あの人はあなたと一緒で思い込みが激しいのよ」と笑っていた。
私がどんなに数学や理科が出来ないことを言っても、信じてくれなかったそうである。そもそも、私は英会話もそこまで得意ではないのに、上のクラスに入れてもらっていた。意欲があることだけは伝わったのか、気に入られていたおかげかはわからない。
とにかく私は、国語や社会ではトップを取ることを狙い、英語はケアレスミスに気をつけることに重点を置いた。数学と理科もやることはやったが、正直捨てた部分もある。
社会の問題で教科書に載ってないようなマニアックな問題を訊かれ、答えることもあった。それで男子に引かれたけど、そんなことはどうでも良かった。これは小学生のときに保健室登校であったため、図書館で歴史漫画を読み漁ったおかげなのである。しかし、それでも日本の歴史は覚えていないあたり、好き嫌いで生きてきた性格がよく出ている。
結局私は私立の高校へ行き、勉強しない日々を過ごした。この頃から、勉強する意味がわからなくなってきたのである。いや、小学生のときから、わからなかったけど。
クラスの女の子は、総理大臣の名前も知らない。現代文、現文を原文とノートに書く。この高校はクリスチャンスクールなので評定さえ取れば推薦でそこそこの偏差値の高校へ行くことが可能だ。しかし、評定が良くても、模試はひどい有り様という子もいた。彼女は筍を茸だと思っていた。
いちばん屈辱的だったのは、進学校の男の子に、「うちの高校はバカだから(うちの高校の子は)紹介されたくない」と言われたことだ。確かに普通科は馬鹿だが、英語科は決して馬鹿ではなかった。マサチューセッツ工科大の先生は、私が英語科に行くと思い込んでいたらしい。しかし、私は普通科を選んだ。
受験に失敗した私は、さらに地獄を見る。哲学科に落ちて、短大の国文科に入ったものの、本を読む人なんてほとんどいなかったのである。ここの短大の国文科は、そこそこの偏差値の大学の付属みたいな短大で、そこへの編入を狙って入った学生か、モラトリアムを謳歌したい学生しかいなかった。
素晴らしい先生はいたが、なかなかに辛い2年間だった。

就職活動をせず社会人になった私は、自分の仕事の出来なさに泣きたくなる日々を送る。まるで小学校のやり直しのようだ。私はコンパスや定規を使えないだけでなく、手先がものすごく不器用で、状況を素早く判断して動くのが苦手だった。さらに信じられないほど要領が悪い。
幸いだったのは、どこの職場に行っても皆、優しかったことである。いや、過呼吸ばかり起こして、やめた職場も2つほどあった。

はっきり言って、そこそこの偏差値の大学を卒業して、就職活動しなければ、仕事をする上において、学校の勉強が役に立つことはないような気がする。手堅いと言われている医療・福祉の専門職に就きたければ、理科と社会は必須だろう。
漢字を書く機会は意外と多いので、国語は出来るに越したことはない。また、説明をする仕事は意外とあるので、相手に伝えるためにも国語は大事だ。また、論理的な説明のほうが分かりやすいので、その点において、数学的な思考も必要となってくる。
高卒でも出世していくと、資格を取ったり勉強しないといけないので、こうやって考えると勉強しておくに越したことはないですね。

ちなみに、私の理想の世界は、「出来る人が出来ない人に教える世界」だ。これは勉強に限らず、なんでもいい。
勉強が出来ても、人に教えられない人はたくさんいると思う。それは、「身になってる」とは決して言えない。走るのが速い人も、絵を描くのが上手な人も、それを教えるのは難しいかもしれない。けれど、それは必ず役に立つと思う。走るのが速い人を見て、なんで速いかわかる人もいるかもしれないから、わかる人と一緒になって教えるのもいいと思う。
今、子どもは少ないし、これ、実現するとすごくいいと思うんですけどね。